「たとへば、こんな怪談話 4 =雲外鏡= 第三話」  …雪枝が気が付くと、そこは真っ暗な場所だった…  雪枝は、自分が鏡から発せられた光に包まれて、そこに倒れているも のと思った。  雪枝は暗闇の中で手探りでそばに落ちているだろう懐中電灯を探した …しかし、雪枝の手には何も感触が無いばかりか、自分が居る場所の地 面の感触も無かった…  雪枝はハッとして、反射的に手を引っ込めた。  さっきまで、あったであろう地面付近を探っていた右手を左手でさす りながら、目を凝らして周囲を見渡した。  しかし、その空間には丸い窓が一つ、ぽつんとあるだけで、何もない 空間が広がっているだけであった…雪枝は立ち上がると、丸い窓に向か った。足元はまるで蒟蒻を踏んだような感触があり、足取りがおぼつか なかったが、なんとか窓までたどり着いた。  窓から外を見ると、はたして暗い空間が見えた。  しかし、そこにはさっきまで手に持っていた懐中電灯が光を放ってい て、その光の中に胡座をかいて座って居るもう一人の自分の姿があった…  (いったい何が起こったの?)  雪枝は混乱しつつも、窓の外のもう一人の自分の行動を見ていた。  窓の外の雪枝は、穴の周囲を見回し大きな延びをするとはしたなく大 口を開けてあくびをした。  「やれやれ…どのくらい眠っていたことだろう…数十年程かな?」  雪枝は、まるで自分の声をテープレコーダーで聞いた様な感じがした。 そして、  「…数十年??」 と、窓の外の自分の言った台詞に驚いた。すると窓の外の自分は雪枝の 言葉に気が付いて、窓に近づくと窓に顔を近づけ、窓一杯に自分の顔が 映った。  窓の外の雪枝は窓越しに雪枝の姿をまじまじと見つめると、こう言っ た。  「そうだ、あんたが儂を起こしてくれたのじゃ、これでやっと儂を封 じ込めた秋山一族に復讐することができるわい」  「復讐??」  「そうじゃ、儂はおよそ数十年ほど前、秋山一族にここに閉じこめら れて以来、今まで放って置かれたのじゃ!儂をこんな所に封じ込めた秋 山一族に目にもの見せてやる!!」  「あっ…あなたは?」  不安顔で質問する雪枝に、窓の外の雪枝はにんまりと笑って  「儂の名は、”雲外鏡”」  「…”雲外鏡”?」  「そう、儂はこの鏡の精じゃ、ちなみにあんたの居る場所は、儂の世 界じゃ!」 と、窓越しに雪枝を指さした。  雪枝は愕然とした。  雪枝が今居る場所は先ほど雪枝が櫃から取り出した鏡の中なのである… 窓の外の世界が雪枝の居た元の世界であり、窓の外の自分の姿をした人 物は”雲外鏡”と名乗る鏡の精である。  さっき”雲外鏡”が窓に方を近づけたように見えたのは、実は”雲外 鏡”が鏡を取り上げ自分の顔に近づけたのである。  「こうして改めて見ると、あんたは別嬪じゃのう…暫くは、あんたの 姿を借りて居ることとしよう…」  そう言うと、”雲外鏡”は鏡を小脇に抱え、改めて自分の格好を見回 し、  「…しかし、けったいな着物じゃのう…しかし、動きやすいわい」 と、言って  「それに…なんじゃ、この耳から鼻にかかった変な物は…邪魔だ!」 と言って一旦眼鏡を外したが、  「…ん?なんか周りがぼやけて見えるわい…」  ”雲外鏡”はそう言いながらキョロキョロと周りを見回した。そして 外した眼鏡を目の前に持っていくと、  「ははーぁん、これで周りの景色が見えるようになっておるのか…こ の時代の人間は不便じゃのう…」 と、ぶつぶつ言いながら”雲外鏡”は眼鏡を掛けて穴の出口に向かって 歩き出した。  一方、鏡の中の雪枝は、  「助けて!」  雪枝は大声で叫んだが、雪枝の声はこだますることなく、空間に吸い 込まれていった…  ”雲外鏡”が穴から出てくると、数十年ぶりの太陽の光が眩しいのか、 しきりに目しばたいていた。  するとそこに、子猫がやってきた。  この子猫は昨日雪枝に抱かれて可愛がられていた子猫である。  子猫は雪枝の姿をした”雲外鏡”を雪枝と思い、また可愛がってくれ ると思って猫なで声を出して”雲外鏡”に近づいていった。  そんなことを知らない”雲外鏡”は、子猫が擦り寄ってきても子猫を 無視していたが、子猫があまりにしつこく擦り寄ってきて、しまいには 「かまって!」とばかりに”雲外鏡”足にしがみついてきたので、”雲 外鏡”は頭に来て、  「ええーーい、うるさいわい!!」 と言って、子猫を蹴り飛ばしてしまった。  あまりに突然に勢いよく蹴り飛ばされてしまったので、子猫は受け身 を取る暇もなく秋山家の垣根の外側にある竹囲いにぶつかってしまった。  そして、打ち所が悪かったのか、子猫は動けなくなってしまった…動 かない子猫を一別して”雲外鏡”は、去っていった…  その一部始終を”雲外鏡”が抱えている鏡越しに見ていた雪枝は  「…ひどい!」 と、涙を流していた…  …その晩、会社から珍しく早く帰ってきた庄兵は、玄関をくぐる間も なくそこで待ちかまえていたお八重に  「家の子猫の一匹が大怪我をしたんだ!医者に連れていってくれない か?」 と、半分怒鳴られるような口調で言われた。  その言葉にたじろぎながらも庄兵は、  「判った…それで子猫は…?」 と言ってお八重の後に付いていった。  庄兵は居間の座布団の上で息も絶え絶えになっている子猫を見て驚い た。  「…なんで、こんな事に…?」 と言ってお八重を見ると  「そんなことより、早く医者に連れていって!」 とお八重にせかされた。  庄兵は子猫を座布団ごと抱えると大急ぎで近所の獣医に走った。  獣医は子猫の姿を見た途端、  「ご本家(この獣医も秋山一族)、こりゃもういかんですよ!」 と、首を横にふった。  「そこを何とか…」 と無理を承知で頼むと、  「助かる確率は大変低いですよ、それに費用もかかりますしね。楽に してやった方が安上がりですがね」  その獣医の言葉を聞いて一緒に付いてきたお八重は  「なんだと!」 と、思わず声を出してしまった、驚いた庄兵が慌ててお八重の口をふさ いだ。たが、幸いにも獣医が子猫の方を向いていたので、お八重が発し た言葉とは気づかれなかった。  「ま、そこまでおっしゃるのなら、やるだけやってみますがね」  「おねがいします」  庄兵は頭を下げてお願いしてきた。  帰り道に庄兵はお八重から、子猫がどうしてあんな怪我をしたのかを 聞いた。  そして、お八重の話から子猫に重傷を負わせたのが雪枝であることを 知ると、  「…そんなばかな!あの猫好きの娘が…」 と、つぶやいた。  お八重も不思議そうな顔をしながら、  「最初子猫の母猫から話を聞いた時には驚いたやね、しかし、直接子 猫に聞いても柳沢さんが蹴っ飛ばしたとしか…」  二人とも昨日猫達に囲まれて喜んでいた雪枝の姿を見ているだけに、 俄に信じがたかった…  秋山本家のある小高い丘の上に上がる裏道の暗い階段を庄兵とお八重 は黙ってお八重が先導する格好で登っていた。その途中で、お八重は何 かを思い出し、  「あっ!」 と声を上げた。  「どうした?お八重さん」 と庄兵が言うと、お八重は庄兵の前を2,3段駆け上がってくるりと庄 兵の方を振り向き、  「そうだ…一つ言い忘れていたやね、子猫が言うことには蹴り飛ばし たときの柳沢さんの影が昨日と違っていたってね!」  「影?」  「そう、我々猫は人間の影を見るんだ、その人間が自分に害を成すか 否かを知るためにね」  「影ってこの影?」  庄兵は、外灯に照らされて階段に映っている影を指さした。  「うーーん、一寸違うなぁ…なんて言ったらいいんだろう…我々猫や 犬からは人間の周りに一種の影みたいな物が見えるんだ」  「ふーーん」  庄兵は頷いた。どうやら、猫や犬には人間のオーラみたいな物が見え るらしい…  「ねぇ、じゃその影ってしょっちゅう変わる物なの?」  「いいや…そんな簡単に変わるもんじゃない」  「柳沢さんに何かあったのだろうか?」  「…そうさね、調べてみる価値はあるやね、丁度子猫の仕返しに行こ うかと思っていたし…」  その言葉を聞いて庄兵はゾッとした。つくづくお八重が味方で良かっ たと思った。  「…で、お八重さん」  「なんだい?」  「ちなみに、俺の影はどう見える?」  「あんたのは、静さんと同じで明るい色だよ」 と言ってニコッと笑った。  家に帰ると、お八重は居間に行って三匹の猫を呼びだした。  そしてごにょごにょと何か言うと三匹の猫は居間を飛び出し、壁抜け して出ていった…その三匹の行動を見ていた庄兵は驚いて、  「お八重さん…いったい…??」 と、恐る恐る聞いた。  するとお八重は庄兵の方に振り返って。  「嗚呼…あの三匹にさっき言った通りに柳沢さんを調べに行かしたん やね」  「…いや、そうじゃなくて、あの壁抜けは…」 と、庄兵が聞くとお八重はなんだと言うような顔をして、  「あっ、あの子達は桜,梅,松と言って、もう立派な”猫股”達だよ」 と、平然と答えた。  「えっ…?お八重さんの他に”猫股”が居たの…?」  「そりゃ、あたしの子供だもの何匹かは”猫股”になっているのも居 るさね、あと、楓,菊,牡丹と言うのも”猫股”やね」  それを聞いて、庄兵は蒼くなった。  …翌日の晩、会社を早めに退社してきた庄兵は、雪枝を調べに行った 猫からの報告を静と共に聞いた。  報告に帰ってきた”猫股”の桜はまだ人語をうまく使いこなせず、お 八重が通訳することになったが、その話から、雪枝の部屋には異様な影 を発する銅鏡があり、雪枝はその銅鏡を大事そうに撫で回していたと言 う…どうやら雪枝は銅鏡に操られているのではないかと言うことであっ た…  「銅鏡…」  静はそう言って腕組みをした。  「そうそう、近所の猫達の話では、あの銅鏡は一昨日まで無かったそ うやね、いつも餌をくれる柳沢さんが一昨日から全然餌をくれなくなっ て困っているって!…それから、やはり柳沢さんの影がいつもと違うっ て…」  桜の言葉を通訳したお八重も怪訝そうな顔をした。  「…そうなの…」  「ねえ、静さん鏡操られているって…もしかして、妖怪かなにか?」 と、言って静とお八重の会話に割って入った庄兵に  「さすがは、庄兵さん。最近カンが良くなったわね」 と言って、静は庄兵の頭を撫でた。  「え゛っ、やっぱり妖怪」  元々怖がりな庄兵は蒼くなった。  「そう、鏡の妖怪だと”鏡爺”か”雲外鏡”などが居るけど…はたし て…」 と言いながら、静は白魚のような指を細く尖った顎に当て考え込んだ。  「雪枝さんの様な別嬪だと”鏡爺”の様な気がするが、あの助平爺が 柳沢さんを操って体を鏡の外に置くのはおかしい…あの助平爺なら、体 ごと鏡に取り込むはずやね」 と、お八重が助言すると、すかさず静は、  「…と、すると”雲外鏡”?…確かに”雲外鏡”なら、鏡を覗いた人 に化けたり操ったりして悪さをしでかす事が出来るから体が外にあるの は頷けるわね。…でも、あの”雲外鏡”どこから出てきた物かしら、そ して、柳沢さんの魂や体は…?」 と言うと、  「もう少し、あの子達に調べさせよう」 とお八重は言って、桜に何か指図した。  また、お八重は別の三匹の”猫股”(楓,菊,牡丹)を呼び寄せると、 何か指図していた。  出ていった三匹を見送った庄兵は  「お八重さん、あの三匹には何を?」  「嗚呼…あの子達には裏の発掘現場を見に行かした。子猫が怪我をさ せられたんだ、ひょっとすると裏の発掘現場から”雲外鏡”を掘り出し たんじゃないのかと思ってね」  「…どう言うこと?」  「昔、私が若い頃に”雲外鏡”を退治したことがあったの…」 と静は言った。 =続く= 藤次郎正秀